「話したいけど、話せなかった」五月雨登校だった娘と向き合い、笑顔を取り戻すまで
娘が不登校になりかけたのは、中学2年生の春。
地元の公立中学に通っていましたが、クラス替えで仲良しの友だちと離れてしまい、少しずつ学校を休むようになりました。
最初は「1日だけ休む」「午前中だけ行く」といった五月雨登校。でも、ゴールデンウィーク明けからは、行けない日が増えていきました。
妹も学校を休み始めて…
そんな姉の様子を見ていた小5の妹も、同じように学校を休むようになりました。後から知ったのですが、妹もクラスでうまくいっていない友達がいたようです。
でも、妹は2週間ほどで「明日から学校に行く」と言って、急に登校を再開。姉は、置いて行かれたような気がして、さらに学校に行きづらくなってしまったのかもしれません。
「家庭でできることはないか」模索した日々
学校からはフリースクールの提案も受けましたが、私は「もう少し家庭でできることがあるのでは」と思い、カウンセリングを受けることにしました。
カウンセリングでアドバイスを受け、まず取り組んだのは、家庭内のルールを決めること でした。
「ルールを決めることで、娘は余計にプレッシャーを感じてしまわないかな?」と心配もありましたが、
娘の意見も聞きながら決めることで、自然と会話が増えていきました。
「話してくれない」のではなく、「話したいけど話せなかった」
今になって思うのは、「何も話さないから、何も悩んでいない」と思っていたのは私の勘違いだった、ということです。
本当は、いろいろな気持ちを抱えていたのに、話すきっかけや場所がなかっただけ なのかもしれません。
少しずつ変わっていく娘と、取り戻した笑顔
五月雨登校だった娘も、家庭でルールを決めて生活を始めてから1か月後、「1週間連続で登校できた」 という小さな変化がありました。
夏休みを挟んで、2学期からは毎日学校に行けるようになり、何か嫌なことがあったときは、「家庭で話す」 ことが自然にできるようになりました。
押し付けるのではなく、「話せる場所がある」 ことが、娘にとって大きな支えになっていたのかもしれません。
今、娘が自分の意思で学校に通っている姿を見て、私はほっとしています。